古伊万里「瑠璃」の器は、時折見かける。初期伊万里の瓶子を私は長年愛蔵していたことがある。食器類は幕末から明治へかけて製造されたものが多く、瑠璃の器肌の上に金で絵付けがしてある。当時としてはゴージャスなデザインとしてもてはやされたものだろう。掲示のそば猪口は、外側が瑠璃だけのきわめて単純な意匠のものである。これがよろしい。 内側は白磁で、縁にひとすじ、更紗文様が染め付けられている。その頃合が、絶妙である。私の骨董買いは明治印版手のそば猪口から始まり、遍歴を重ねながら、今もコーヒーや日本茶を飲んだり、時には酒杯として使ったり、日々愛用しているが、近ごろは、この瑠璃のそば猪口を使うことが多い。そば猪口道もこの一点によってある到達点に達したといってもよかろう。ある年の夏、行きつけのギャラリーショップの店頭で、特別...瑠璃の器が映すもの【かさこそ森の物語<7>】
テラス席を作った―かさこそ森珈琲店【かさこそ森の物語<6>】
部屋の片隅に立てかけられていたサーフボードや古い時代にこの保育園のこどもたちが使った台形の机などを持ち出して、テラス席を作った。あたたかな日差しが降ってきて、ゆらゆらと揺れながら宙<sora>を漂うテーブルを温めた。遠景に放し飼いの牛たちが見える。しあわせそうな家族がやってきて、早速、座ってくれた。梅の花が一輪、咲いた。 *「かさこそ森珈琲店」「かさこそ森文庫」「森のマドゥパン」は今週の月曜~木曜はお休みです。金曜~日曜まで開店します。「森のマドゥパン」は金曜・土曜だけの開店です。 テラス席を作った―かさこそ森珈琲店【かさこそ森の物語<6>】
陽だまりで本を読む午後 ―かさこそ森珈琲店― 【かさこそ森の物語<8>】
テラス席に本を持ち出して読む。「男の詩集」だと。寺山修二編集だと。男が詩を書く時、どのような心意であるのか。戦争に負けた時、廃墟の町で絶望している時、勇ましく歩き出した時、故郷を捨てて町へ出た幾春秋、街路を歩きながらなんだか泣きたくなる時、小さな女の子と過ごしているひととき、どこからか聞こえてくるふるさとの川の水音母の歌声。誌など不要である、と思ったり、誌があったから生きられたと慨嘆したり、憤慨した時に吐き出す言葉を書きつけたり、社会の不条理に怒り、無限の宇宙と自身に与えられた一瞬の生命を比べたり。「かさこそ森」の午後には穏やかな春の陽射しが降り注いでいる。庭先でふきのとうを見つけた。詩集を閉じて眼を瞑ると、木立ちの上から幾筋もの光の条(すじ)が落ちてきて、サーフボードを転用したテーブルの上を、ゆらゆらと...陽だまりで本を読む午後―かさこそ森珈琲店―【かさこそ森の物語<8>】
古伊万里「瑠璃」の器は、時折見かける。初期伊万里の瓶子を私は長年愛蔵していたことがある。食器類は幕末から明治へかけて製造されたものが多く、瑠璃の器肌の上に金で絵付けがしてある。当時としてはゴージャスなデザインとしてもてはやされたものだろう。掲示のそば猪口は、外側が瑠璃だけのきわめて単純な意匠のものである。これがよろしい。 内側は白磁で、縁にひとすじ、更紗文様が染め付けられている。その頃合が、絶妙である。私の骨董買いは明治印版手のそば猪口から始まり、遍歴を重ねながら、今もコーヒーや日本茶を飲んだり、時には酒杯として使ったり、日々愛用しているが、近ごろは、この瑠璃のそば猪口を使うことが多い。そば猪口道もこの一点によってある到達点に達したといってもよかろう。ある年の夏、行きつけのギャラリーショップの店頭で、特別...瑠璃の器が映すもの【かさこそ森の物語<7>】
胸中山水――かさこそ森珈琲店―― 【かさこそ森の物語<6>】
染付け山水のそば猪口を愛好している。白地に藍で描かれた山水の染付けは、古伊万里の器にはもっとも好まれた図柄で、製作された数量も多く、ことさら珍しい文様と言うわけにはいかない。骨董の世界では、希少・珍奇をもって価値観の上位となすものであるから、染付け山水のそば猪口ごときを所蔵しているからといって、大して自慢にはならない。が、毎朝、一杯のコーヒーを喫むために用いる器として、あくまでこの山水のそば猪口を重用することについては、いくつかの自分史的理由がある。その一、私の部屋の片隅に、古い桐箪笥が置かれている。明治期の大川箪笥である。祖母が嫁入りの時に持ってきたものと同じ様式のものである。私は子供の頃、その祖母の嫁入り箪笥のすべての引き出しを順番に開け、引き出しの一段一段を踏み段にして最上部まで登り、一番上の引き戸...胸中山水――かさこそ森珈琲店――【かさこそ森の物語<6>】
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