錦秋の九重高原から阿蘇・高千穂を経て椎葉へ――晩秋の山旅(2)【空想の森から<187>】
由布院盆地の中心部は、標高450メートル。由布院空想の森美術館のある辺りはおよそ標高500メートル。この地点まで、深い霧に包まれることは稀だが、この朝は、窓の外は真っ白で、何も見えないほどの濃霧だった。雲海の中で一夜を眠り、目覚めて、ゆっくりと珈琲を淹れ、次第に晴れあがってゆく景色を観る。至福の時間がながれてゆく。この美術館のある地点の近くからは縄文時代の遺跡(かわじ池遺跡)が発掘され、埋め戻されている。その遺跡には、ある意志に基づいて並べられたと思われる集石遺稿があり、その石群の配置は、由布岳の山頂を望む方角を向いていた。太古の人々は由布岳の山頂から昇る朝日に向かって敬虔な祈りを捧げ、「まつり」を行なったものであろう。そしてその生活跡は、霧の中で一万年の眠りを続けていることであろう。霧が上がると、由布岳...錦秋の九重高原から阿蘇・高千穂を経て椎葉へ――晩秋の山旅(2)【空想の森から<187>】
筑後画壇の先駆者ー松田諦晶「婦人像」/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]
この絵に出合ったのは、45年ほども前のことになる。郷里のアマチュア絵画教室で絵の勉強を始めて間もない頃のことだった。古い町の、開店して間もない古美術商に立ち寄り、何気なく店内を見渡した視線の先に壁に立てかけられた一群の油絵があり、その一番前にこの絵があったのだ。それゆえ、初見は斜めにこの絵を見たのだったが、それでも、つよく惹きつけられるものがあり、有り金をはたいて買ったのだ。店主は、――青木繁関連の家からの出物ですよ。と言っていたが、それを信じるとか信じないとかいう次元のことではなく、例えば山奥の道で予期せぬ稲光りと雷鳴に遭ったときのような、衝撃が身体の中を走ったのだった。後から考えると、それは高校3年の夏、約40キロの道を自転車を漕いで久留米市の石橋美術館に行き、観た青木繫の傑作「海の幸」の中央で一人だ...筑後画壇の先駆者ー松田諦晶「婦人像」/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]
筑後川の川辺の香りがする:坂宗一《夕景》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]
油絵F8号の小品だが、一目見た時に画面に「筑後の空気」が漂っていると感じた。そしてその直感は当たっていた。古い建物の向こうの空が真っ赤に夕焼けており、画面手前には倒木が横たわっている。そして道の両脇には櫨(はぜ)並木と思われる木立がある。筑後の風景である。坂宗一は1902年福岡県三潴郡(久留米市)生まれ。坂本繁二郎に師事し、川端画学校で学んだ後、戦前の二科展に出品。特待賞を受賞するなど活躍。昭和22年二紀会の創立に参加し、旺盛な創作活動を続けた画家である。こちらはF6号の油絵小品。築後に育った人や筑後地方になじみの深い人ならば、この変哲もない風景画が、大河・筑後川の春先の岸辺であることがすぐにわかる。枯草は温かみを帯び、悠々と流れ下る川の水音を包含し、やがて一帯を黄色で埋め尽くす菜の花の種子を地中に抱いて...筑後川の川辺の香りがする:坂宗一《夕景》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]
悠久の大地の歌が聞こえる―坂宗一《想う》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]
坂宗一は1902年福岡県三潴郡(久留米市)生まれ。坂本繁二郎に師事し、川端画学校で学んだ後二科展に出品し、昭和2年の二科展で特待賞を受賞するなど活躍。その後、昭和22年二紀会の創立に参加し、旺盛な創作活動を続けた画家である。100号の本作は二紀展出品作。小品には、築後の風土の香りを纏った作があるが、この作品は、画面中央に牛、手前に横向きに寝た人物、その左横に優し気な表情の犬、左奥に膝を抱えて座った少年、そして右側には不思議な衣装を纏った女性と思われる人物などが配置され、悠久のアジアの旅で出会う一場面を想起させる。メルヘンの世界とも宗教画とも違う、不思議な絵画空間は、題名の「想う」にふさわしい。作者は何を想い、観る者に何を想わせようとするのか。*詳細は悠久の大地の歌が聞こえる―坂宗一《想う》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]
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